ロベルト・シューマンの挫折 作曲家への道へ|初めての高級ピアノ
神経性麻痺であきらめざるを得なかったピアニストとしての道
動かなくなった右手
幸せな時代
【代表作】
二つの『リーダークライス』(作品24及び作品39)、『ミルテの花』(作品25)、『女の愛と生涯』(作品42)、そして『詩人の恋』(作品48)です。 これらを含め、この年に120曲以上の歌曲、重唱曲が作曲されています。これはシューマンが生涯に残した歌曲の大半を超えるもので、1840年は「歌曲の年」と呼ばれています。
クララとの出会いが、シューマンの優れた能力を発揮させたのでしょうね。シューマンとクララの間には、8人の子供が生まれており、それだけ愛し合っていたということも計り知れます。
シューマンの最期
シューマンは自分では分別を保てず、「このままでは妻や子供たちを傷つける恐れがある」として自ら精神病院に入いるよう身の回りの整理を始めました。
次第に発音が困難になり、感覚の鈍磨が聴覚、味覚、嗅覚にまで広がり、次第に衰弱していきました。
1856年7月23日に危急を知らせる電報を受け取ったクララは7月27日にシューマンの住むエンデニヒに着き、2年ぶりにシューマンと再会しました。
【クララの手記】
「それは夕方6時から7時のころのことでした。彼は私を認めて微笑み、非常な努力を払って―もうその頃、彼は四肢の自由がきかなくなっていました―彼の腕を私に回しました。私はそれを決して忘れません。世界中の宝を持ってしても、この抱擁にはかえられないでしょう」
とクララはのちに語っています。
クララがシューマンのもとを訪れた 翌28日、シューマンの手足は痙攣が続き、クララはシューマンにワインを飲ませました。
ワインの一部がクララの手の上にこぼれると、シューマンは嬉しそうにクララの指をなめ、最後に「おまえ、……ぼくは知っているよ……」という言葉を残して 1856年7月29日午後4時、46歳の生涯を閉じました。
シューマンが最愛の妻クララに残した最後の言葉
シューマンも先日紹介させていただいた「ゴッホ」などのように精神神経症に侵され、非業の死を遂げています。何か通ずるものがあるのでしょうか。
私は精神疾患など患ったまま死にたくありませんが、ロベルトとクララのような思いやりを持った関係を持ち、このような最期を迎えたいと思っています。
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