投稿

グロトリアンと決別したスタインウェイ model:DコンサートグランドK0862 & Julien Libee|初めての高級ピアノ

イメージ
グロトリアンを残し、アメリカへ( 渡米後のスタインウェイ) 以前、 『スタインウェイができるまで(あるピアノの伝記)』 という書籍の記事を書かせてもらって、最後まで読みましたが、あまり面白い本ではありませんでした。訳者というか、著者にあまり音楽への愛情が感じられない作品でした。相当興味がないと読めません。「まあ、よく調べたな」って感じの本です。これよりも面白い論文見つけたんで、今そちらの方を読んでます。(論文って読みにくいですね。苦行です。)その論文もこの書籍をかなり引用していますが。  【内容を説明する前に】   まず、本著の内容の説明をする前に、スタインウェイの「コンサートグランド」について少し説明しておくと「コンサートグランド(Model D)」には 、 “Early Steinway” (~1884年以前)と "Vintage Steinway" (1884年以降)と様々な進化を遂げて現在の「Steinway&sons」としてのコンサートグランドがあるわけですが、本著は、近代のコンサートグランドK0862(K0862とは工場ナンバー、製造番号 No.565700 を与えられた 2004 年2月9日製のModel D. がCD-60として)世に出るまでの経緯を中心に スタインウェイの工場の職人の話 や、 作り方 など、かなりマニアックな内容が書かれていて、音楽好きの人でも途中で読むのが嫌になるような内容だと思います。まあ、書いた人が真面目だったんでしょうね。 ピアノ職人や調律師になりたい人にはシビれる内容 かもしれません。   ※Model Dはオーケストラの他の楽器の音量に匹敵するピアノで、交響曲の演奏会では必ずこのタイプが使われています。また、スタインウェイのグランドピアノは完成までに約一年かかります。リム(側板)は、無垢の堅いメープル材と最高級マホガニー (英:Mahogany、日:桃花心木) を何層にも貼り合わせて作られ、強大な弦の張力に耐久する鋳鉄製フレームを採用しています。 ※ちなみに ピアノ調律師ってベテランになると年収800万円以上稼げます。 案外知られていませんが、調律料金は1件あたり1万3千円ぐらいですし、もうあまり目指す人も居ませんから。 やっと職人の時代がやってきました。(私は職人さん目指してまし...

ロベルト・シューマンの挫折 作曲家への道へ|初めての高級ピアノ

神経性麻痺であきらめざるを得なかったピアニストとしての道 今回は、グロトリアンを愛したクララ・シューマンの夫であり、ドイツ・ロマン派を代表する、かの有名な作曲家ロベルト・シューマン(Robert Alexander Schumann, 1810年 - 1856年)について、あまり皆さんが知らないことについてお話しします。 動かなくなった右手 シューマンはピアニストを目指していましたが、すでに20歳(1830年)の頃に、右手の進行性麻痺により、右手の中指と薬指を始め、「物を握ったり持ったり」することも不自由になってしまい、ピアノ演奏も上手く引けなくなってしまったそうです。また、目の病気も患い、失明する恐怖にも襲われ、1832年に作曲で身を立てる意志を固めました。    幸せな時代 ピアニストとしての道を断たれたシューマンですが、作曲家として数多くの作品を残しました。 1835年に出会ったクララと結婚する前の1840年3月から7月までの間に、シューマンは音楽史に残る5つの歌曲集を作曲しました。  【代表作】 二つの『リーダークライス』(作品24及び作品39)、『ミルテの花』(作品25)、『女の愛と生涯』(作品42)、そして『詩人の恋』(作品48)です。 これらを含め、この年に120曲以上の歌曲、重唱曲が作曲されています。これはシューマンが生涯に残した歌曲の大半を超えるもので、1840年は「歌曲の年」と呼ばれています。 クララとの出会いが、シューマンの優れた能力を発揮させたのでしょうね。シューマンとクララの間には、8人の子供が生まれており、それだけ愛し合っていたということも計り知れます。    シューマンの最期 ロベルト・シューマンの死因については諸説ありますが、数々の名作を残しながらも、彼は神経障害を発症し、1854年にライン川に飛び込み、自殺未遂を起こします。この時、クララとの「愛の証」である指輪を外してから身を投じたそうです。  シューマンは自分では分別を保てず、 「このままでは妻や子供たちを傷つける恐れがある」 として自ら精神病院に入いるよう身の回りの整理を始めました。 次第に発音が困難になり、感覚の鈍磨が聴覚、味覚、嗅覚にまで広がり、次第に衰弱していきました。  1856年7月2...

アドラー心理学 優秀なピアニスト・音楽家になるために、育てるために 音楽の都ウィーン|初めての高級ピアノ

イメージ
グロトリアンと心理学者アドラーとの接点 前回、ウィーンについての話題が出ましたので、それにちなんで、「音楽の都」ウィーンとシューマンを愛したウィーン出身の 心理学者アドラー と、一流のピアニストや音楽家になりたい、育てたい、と考えている方たちのために必要になりそうな知識について紹介させていただきます。 ウィーン出身の心理学者アドラー(詳細は下記)は、ウィーンをこよなく愛するとともに心理学者となる以前に内科医として開業していた病院の昼休みには、近くのカフェでピアノの伴奏に合わせ、グロトリアンを愛したクララ・シューマンの夫であるロベルト・シューマンの歌曲を歌っていたそうです。これは本日、最後の方で紹介する本の中にも書かれています。  【音楽の都ウィーン】 19世紀後半までドイツ民族全体の帝都でもあり、クラシック音楽が盛んで過去にモーツァルトやベートーヴェン、シューベルトなど、多くの作曲家が活躍したことから「音楽の都」・「楽都」とも呼ばれています。 美しい建築物「ベルヴェデーレ宮殿」にはクリムトやシーレなど私の好きな多くの作品が詰まっています。 芸術家とアスリートとの違い 才能と練習量 音楽家や画家などの芸術家とアスリートとの違いは、才能という観点で見た場合、生まれ持った遺伝的身体運動能力の優劣よりも、生命を受けてからの 育った環境や個人の努力に左右される部分ががより多く求められる ことが大きく異なる点です。 芸術、特に音楽は、才能さえあれば生まれ持って出来るというものではありません。 一流のピアニストになるためには1日8時間以上の練習量が求められます。中にはそんなに練習しなくても早いうちにコツを掴んでスポーツも音楽も美術も出来てしまういわゆる文武両道と呼ばれる天才肌の人もいます。それがいわゆる「才能」と呼ばれるものかも知れませんがどの分野でも一流と呼ばれる方たちは人並ならぬ練習を人知れず行っています。自らが楽しんでできたか、苦労したと感じるかの違いだけだと思います。  才能における遺伝の因果関係については今も研究がされて続けていますが、どうも「有る」という研究結果が多く見られるようです。DNAの解析によってそれが証明される日も遠くないかもしれません。 ポーランドの前期ロマン派音楽を代表する作曲家であり、ピアノの詩人とも呼ばれるショパン(181...

グロトリアン-スタインウェイ コントア Grotrian-Steinweg Contour Upright|初めての高級ピアノ

イメージ
グロトリアン-スタインウェイ時代に作られたコントアの音色  グロトリアンとスタインウェイの名で残る名器の音色と素晴らしい演奏をお楽しみください。 世界的に活躍されているピアニスト、マリア・プロコフィエワさんによる演奏です。 (本人に承諾済みです。)       【マリア・プロコフィエワ】(maria prokofieva) 【経歴】 ベラルーシのミンスク生まれ。    5歳で音楽教育を始め、1年後には、ベラルーシ国家フィルの大ホールで初の舞台体験。  6歳の時、ベラルーシ国家音楽院によって設立された才能豊かな子供たちのための専門の音楽学校に入学。  1999年、ピアノ演奏のためのディプロマを受賞。同年、入学試験なしに、ベラルーシ音楽大学に入学。  2004年、コンサート演奏家、伴奏者、室内楽ソリスト、教師の4つの資格で区別して、ピアノ演奏の卒業証書と学士号卒業証書を受け取る。その後、大学院生としてベラルーシ音楽アカデミーでピアノ演奏と教育学のヴァレリー・シャツキー教授などを補助。  2005〜2006年、ベラルーシ音楽アカデミーのピアノ伴奏部門で教鞭をとる。  2006年、 アブデル・ラーマン・エル=バシャ (Abdel Rahman El Bacha、1958年 - アラブ系レバノン人のピアニスト)と、ベルギーにあるエリザべ-ト王妃音楽大学(Queen Elisabeth College of Music)の大学院コースに入学。 2007年、オランダのアムステルダム音楽院で学ぶ。  2010年、 Naum Grubert ※と共に音楽学修士号を取得。  2004年、2005年、2007年、2008年、2010年とDaniel Blumenthal(1952年ドイツ ラントシュトゥール生まれ。 アメリカン大学、 ミシガン大学、 ジュリアード音楽院)など数多くのマスタークラスに参加。  【マリア・プロコフィエワの受賞歴等】 ベラルーシ国立音楽院 Oginsky International Competition(1995年、受賞)  ルクセンブルグのヨーロピアン・ソロイストコンクール(2000年、最終選考)...

スタインウェイができるまで(あるピアノの伝記)|初めての高級ピアノ

イメージ
グロトリアンに関する書籍について 【グロトリアンに関する図書はほとんど無い】 私はこのサイトで「グロトリアン」というピアノについて記事を書かせていただいていますが、実は「グロトリアン」に関する文献は数少ないです。日本語訳にされているものはまずありません。皆無と言っていいでしょう。「グロトリアン」の公式サイトでも在庫切れで入手は困難です。あの「amazon」でさえ「グロトリアン grotrian 」と言うキーワードで検索してもヒットしません。 だから、「グロトリアン」について説明されているサイトのほとんどの説明文は、「グロトリアン」の公式サイトか、誰かが書いた文章を引用したり、その方たちが自分なりに改編して書かれていることばかりです。”リストの妻、クララが愛したピアノ”だとか、どのサイトを見ても請け売りの言葉しか見つからない。どこも同じことが書いてあります。 では何故、関連した文献が無いか、何故、私がわざわざこんなサイトで紹介しているかというと、そもそも「グロトリアン」というピアノは、優れた歴史あるピアノでありながら、一流のピアノに位置付けられていないからです。 世界的に有名な「ショパン国際ピアノコンクール」の公式ピアノとして採用されたとか、そうしたレベルで尺度を測るしかありません。 【発想の転換】 このサイトをご覧になっていただいている方はもうご存知だと思いますが、そんなグロトリアンの歴史を紐解いていくには、 グロトリアンを発祥とするスタインウェイ に関する書籍を調べて行けば、その片鱗の一部を知ることができるのです。世界的に有名なスタインウェイに関する書籍であれば、少なからず間違いなく存在します。まさに 「発想の転換」 です。 視点・見方を変えてみる のです。これはある方との出来事がきっかけで気付かされたことです。 まだ、この本は読み終えていませんが、ざっと目を通したところでは、この本にもグロトリアンに関することはあまり書かれていないような気がしましたが、きっと何かが見つかると思うので楽しみにして読んでみようと思います。   ピアンノのランキング(レイティング)について ピアノには「レイティング」というものがあります。簡単に言うとランク付けのことです。しかも公式に位置付けているものはこの世にはありません。 【レイティングとは】 ランク付けと簡...

グロトリアンの魅力 シンキングボード(歌う板)|初めての高級ピアノ

グロトリアンのシンキングトーン チャリス( 208 x 153 x 100 cm, 350 kg )は、その類まれなダイナミクス範囲、バランスの取れた透明性で、ピアニストのインスピレーションの源となる音を生み出します。このグランドピアノの品質は、ブラウンシュヴァイクの我々の工場における170年以上におよぶ経験、ピアノ・グランドピアノ製造の職人技に基づく、最新の見識の集大成です。   グロトリアンが奏でる上品で繊細な音色とロマン派主義による音楽の変革 19世紀のロマン派全盛の頃から培われたきた技術   ピアノが技術的に大きく進化をしたのは19世紀のロマン派全盛の頃で、1853年にドイツの当時の代表的な3大ピアノ・メーカーである、スタインウェイ(現・米)、ベヒシュタイン(独)、ブリュートナー(独)が時を同じくして創業されました。 こうして、ピアノ業界の新たな時代が幕開けを告げることになりましたが、ロマン派の音楽は感情が重要視され多様な響きが求められていました。(ロマン派については語りだすと長いのでまたの機会に紹介させていただきます。気が向いたら) そうした中で、作曲家が求める音の響きを得るため、近代ピアノの基礎となる技術革新が盛んに行われたのがこの時代です。 ピアノ演奏はサロンのような小規模な場所から、多くの聴衆が集まる大きなコンサートホールへと場所を移し、より大きな音で響き、より遠くに音が届くことがピアノに求められました。  また、王政ハンガリー出身で、現在のドイツやオーストリアなどヨーロッパ各地で活躍したピアニスト・作曲家であるフランツ・リスト(ドイツ語: Franz Liszt、ハンガリー語: Liszt Ferenc、1811年 - 1886年)をはじめとする多くの卓越した作曲家・演奏家が求める複雑で多彩な音楽表現を可能にする機構が考えられ、これがピアノを大きく進化させてきました。 フランツ・リストとベーゼンドルファー 音楽の都で誕生したベーゼンドルファーは数多くの大作曲家、巨匠と呼ばれるピアニストの助言によって研究と改良を重ね続け、「ウィンナートーン」と呼ばれる美しい音色を生み出しました。音楽家の中で特に交流が深く、ベーゼンドルファーピアノを世に知らしめたのは、激しい超絶技巧のピアニストとしてヨーロッパ中を湧かせていた...

グロトリアンはスタンウェイの兄弟?!|初めての高級ピアノ

スタインウェイの祖となるグロトリアン グロトリアンとは ※注意 このブログは趣味で始めたもので、ここに記載されている情報はブログ運営者の備忘録として記録しているものであり、正確な情報ではありませんので注意してください。  グロトリアンピアノの歴史を語る上で、スタインウェイピアノの歴史とは切っても切れない関係があります。 グロトリアンの歴史は古く、スタインウェイの創立よりも18年早い1835年に始まります。 繊細さを極めるピアニッシモから力強いフォルティッシモまで。コンチェルト( 225 x 153 x 100 cm, 400 kg )では、あらゆるダイナミクス範囲を完璧に表現することができます。この楽器の音は中型ホールや音楽学校、オペラハウスや大サロンいっぱいに広がります。コンチェルトは、何世紀にもおよぶ経験、懸命な研究、そして音楽指導者、ピアニスト、音響のスペシャリストとの緊密な意思疎通の賜といえます。 グロトリアンの誕生 グロトリアンの誕生は、ドイツのゼーセン市におけるスタインウェイの歴史にまで遡ります。  世界4大(世界三大※)ピアノ・メーカーとして名高い、のちの スタインウェイ&サンズ社 (ニューヨーク州マンハッタンのヴァリック街で1853年に創立)の創業者でもある、当時ドイツの家具職人であった ハインリッヒ・エンゲルハルト・シュタインヴィッヒ (米国名:ヘンリー・エンゲルハート・スタインウェイ,Henry Engelhard Steinway,)が1825年頃からドイツに於いてピアノ製造を開始しました。 ※ピアノが技術的に大きく進化をしたのは19世紀のロマン派全盛の頃であり、当時の3大ピアノ・メーカーがスタインウェイ(米)、ベヒシュタイン(独)、ブリュートナー(独)となります。 前回ご紹介した世界四大ピアノメーカーに ベーゼンドルファー (奥:オーストリア・ウィーン)をご紹介させていただきましたが、国際ピアノコンクールでは最高峰のものと言える 「ショパン国際ピアノコンクール」 の公式ピアノの一つとして1927年第1回から採用されていましたが、21世紀以降公式ピアノから除外されています。 現在、 「ショパン国際ピアノコンクール」の公式ピアノ は次の5つです。 ・スタインウェイ(1927年第1回から採用。) ・ ベーゼ...